(いまさらですが)吉田大八『桐島、部活やめるってよ』を見る

huluにて鑑賞。見たかった映画なのでありがたい。一昨年くらいの作品という印象だったけど、もう3年前になるのね。「タマフル」で宇多丸に「いまさらそんな古い映画の感想言われても困る」と文句言われるしまおまほさんみたいな遅れ方である。

例によってネット上のいろんな感想・レビューを見てまわって、納得したりしなかったりということをしているが、どうも「桐島≒キリスト≒神」という式を立てて「不在の神を待ち続ける現代人の寓話」という意味で、ベケットの『ゴドーを待ちながら』になぞらえて解釈する見方がひろく受け入れられているみたい。この説は中森明夫が発祥と考えてよいのだろうか。

ただ、この映画の登場人物のほとんどは姿を消した桐島をめぐってあからさまに右往左往しているので、個人的には『ゴドー待ち』とはちょっと印象を異にする感じがする。それに「来ないかもしれない人を遊びながらなんとなく待ち続ける」という構図は、東出昌大ら3人のバスケットボールの場面に部分的に反復されてしまっているので、それを含む全体がゴドー的な構造をなしていると考えるのはちょっと苦しいんじゃないかなあ。

これは原作にあたってみないと断言はできないけど、「桐島」は「キリスト」でなく「カリスマ」のもじりと考えた方がしっくりくるんじゃないかしら。と思って念のため検索してみると、キリスト教神学では、カリスマとは「神の賜物」のことでキリストの永遠の命もそれに含まれるのだそうで、そうすると「桐島≒カリスマ≒キリスト」でいいじゃんということになってしまって困る。

なのでそこを無視して強引に話をすすめると、ここでの「カリスマ」とは神の恩寵云々なんていうのではなく、「カリスマ美容師」みたいな言い方の「とにかくチョーすごい人」くらいの言葉と思ってください。

重要なのは、桐島がどうすごいのか作品内では具体的にはほとんど語られないということ。勉強ができて運動部のエースで可愛い彼女がいてという程度のことしかわからないので、観客にとっては彼は個性のないただののっぺらぼうな存在にすぎない。問題は桐島のすごさの内実ではなく、あくまで彼の不在とそれをめぐる周囲の反応である。だからそれは絶対的な権威による支配というよりは「空虚な中心」に対しての距離の取り方によってあらわれるぼんやりとした共同体に近しく見える。とくればこれは、キリスト教的な神よりも天皇制を連想するほうが自然だろう。

映画の中では、桐島がいなくなって騒然とする「イケてる」グループと、いわゆるスクールカーストの下位に位置しているだろう「イケてない」グループが対比的に描かれている。イケてるほうが同級生がひとりいなくなった程度のことで存在理由がゆらいで動揺しているのに対し、イケてないほうはひたすら我が道を歩み続けていてカッコいいので、最終的にイケてない方の勝ち! という結末として捉えている人がネットなどでは多いようだ。たしかに、クライマックスの幻想のゾンビ映画や「ローエングリン」の演奏はそういうカタルシスを与えてくれる。けれども、とはいえイケてない人々も、イケてる方々との関係によって学校内での立ち位置が決まっている(決めさせられている)わけで、そういう意味ではイケてないグループも桐島と無縁なわけではないのである。

私はむしろ、クライマックスのあとの東出昌大と神木龍之介の短いやりとりのほうに感動したのだった。

東出(カメラをかまえて) 「将来は映画監督ですか? アカデミー賞ですか?」
神木 「映画監督は、無理」
東出 「……じゃあなんで……」
神木 「それは……。でも、時々ね、俺たちが大好きな映画と、いま自分たちが撮ってる映画が、つながってるんだなって思う時があって、ほんとにたまになんだよ、たまになんだけど」

それを聞いて愕然とする(?)東出。

神木 「やっぱりカッコいいね」
東出 「え?」
神木 「カッコいい」
東出 「いいよオレは……いいって」

大げさに言うと、東出くんと神木くんはこの時はじめてお互いを人間として認識したのだ。もしこれが、東出くんが神木くんを認めたというだけの構図なら、西洋人が未開人を「発見」したのと同じただの上から目線だけど、同時に神木くんが東出くんを「カッコいい」と「発見」することで、生の人間同士が出会ったという事件が起こっているわけである。もしかすると東出くんは、神木くんの次回作に出演するかもしれない。いや多分しないだろうけど、そうなってもおかしくないような可能性がここで開かれたということが、どっちのグループが勝った負けたとかいう話などより、よほど素晴らしいことではないかと思うのだ。


そのほか断片的な感想。
ブラスバンド部の部長の大後寿々花さんは、いくら東出くんに自分がサックスを練習するところを見てほしいと思っても、神木くんたちの撮影の邪魔をしてはいけないと思った。それでひとりだけすっきりしていい演奏ができたってさあ。

橋本愛さんも、神木くんに妙に期待を持たせるようなことを言っちゃだめだと思った。ただ彼女の最後のシーンで、なにか考えているような、なにか言いたげな表情を浮かべながら急にふいっと顔をそむけて去ってしまうところ、ほんとに何考えてるのか、その訳の分からなさがすばらしい。

松岡茉優さんの愛想が良くて性格の悪い女子高生が絶品。映画部の顧問の教師に映画のタイトルを尋ねて敬語を使いながらも小馬鹿にしてる感じとか。

・私の高校は学ランだったのでそのへんの感覚がさっぱりわからないのだけど、生徒たちの制服の着こなしの独自のルールやコードの存在がぼんやり見えるのが面白い。それがどんなルールなのか、どういう序列がつけられているのかはさっぱりわからないが、ジャケットのかわりにパーカーやカーディガンを羽織るとか、ネクタイをきっちり締めるか緩めるか、スカート丈が長かったり短かったりというなんだかんだがひとつひとつ何かのサインなんだろうなあという、意味ではなくその気配だけがなんとなく感じられるという怖さ。

・神木くんたちの好む映画がジョージ・A・ロメロとか「スクリーム」なのが今風だなあと思った(原作では岩井俊二らしいけど)。これ私の学生時代だったら、ゴダールヴェンダースジム・ジャームッシュだったよなあ多分。

・いろんなブログを見てまわった中では、矢野利裕という方の「ヤノ・オン・ウェブ/2012年9月13日/桐島とはオレである!」(http://blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll/archives/51739354.html)
が目ウロコだった。現実の高校では、この映画のようにはならないという矢野氏の教え子の女子高生の指摘。だから、現役の高校生よりも「卒業してそれなりの時間が経過した者こそが、この映画に取り込まれるのではないか」とのこと。

・「シネマハスラー」で宇多丸さんは「桐島視点の場面がワンカットだけある」と言ってたんだけどわからなかった。どこだろう。


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