津島佑子氏を悼む

ネットでウンベルト・エーコ死去という記事を見つけて関連ページを読んでいたら、コメント欄に「津島佑子も亡くなったし大物がたてつづけに」とあった。びっくりして慌てて調べてみると、2月18日に亡くなっていた。68歳、肺がんとのこと。
たしかサルトルだったかが死んだときの大江健三郎のエッセイに「遅れた、自分はまた遅れてしまった」とあったのを若い頃に読んだことがある。それ以来、自分も誰かの死の報に接するたびに「あっ私も遅れた」という感想を持つのが癖になっていて、今度もまた同じように感じている。自分が好きで読んだり見たりしていたものの、まだその全作品に触れたわけではなく全体像を把握しないうちに先立たれ、取り残されてしまったという、そういう感じ。
寺山修司、大学のときの先生、手塚治虫チャールトン・ヘストン赤瀬川原平、そういった人々が亡くなったときもそう思ったし、あまり縁起でもないことを言うものではないが、これからあの人やあの人が亡くなるときにも同じように感じるのだろうと思う。
とくに、寺山や手塚、大学の先生、それに津島さんのように現役として継続中の仕事があり、それが死によって中断してしまったという場合は、本当にやるせない感じがする。毎日新聞の記事には「昨年1月に肺がんと診断され、闘病しつつ『父をテーマに書く』と準備を進めていたという」とあるのだけれど*1、なにか下書きのようなものが残っているのだろうか。

津島佑子を知ったのは自分が高校生のときだった。図書館で『童子の影』を借りてきて読み、当時はまじめに読書ノートをつけていて、批評のような感想のようなものを書いてみたのだけれどなんだか違うような気がして全部消してしまい、かわりに「こういう人生もあるんだなあ、と思った」という一文だけを残したということをなぜか覚えている。そのときは本当にそういう感じがしたのだ。
その後『夜のティー・パーティー』というエッセイ集と『寵児』を読んだあと、私はいったん氏の作品からはなれてしまった。とくにはっきりとした理由があったわけではないが、たぶん『寵児』という作品が当時の自分には重すぎた、というか強烈な女性性にまいってしまったというような感じがあったのだと思う。なにしろわたくしは童貞であったので、想像妊娠どころかフツーの妊娠の話すら理解の範疇の埒外であったのである。
そういうわけで氏の小説は読んでいなかったのだが、「朝日ジャーナル」のいちばん終わりのページのコラムをほかの何人かと持ち回りで書いていて、それは読んでいた。つよく印象に残っているのは、のちに千葉県知事になる堂本暁子がTBSのディレクターとして「報道特集」という番組で「ベビーホテル・キャンペーン」を展開しており、それに激しく噛み付いていた文章。建前としては「劣悪な保育環境を改善しようとしない行政を告発する」という趣旨の番組だったのだろうが、(テレビニュースにはたいへんありがちなパターンだけど)結果的に「ベビーホテルに預けられている赤ちゃんはこんなに可哀想ですよー」という印象を強調するつくりになってしまっていて、現実にシングルマザーとしてベビーホテルの利用者だった津島氏にとっては非常に腹立たしいものだったらしい。あんまり頭にきて思わず灰皿かなにかをテレビに向かって投げつけてしまった、とかなんとか書いてあった記憶がある。
そのあと時代はだいぶ下り、2013年にNHKの朝ドラ『純情きらり』の再放送を見て原案が津島佑子であることを知り、その『火の山――山猿記』というおそろしく手の込んだ小説を手にとったのが久方ぶりの再会だった。これを読んだあとあらためて初期のものから読み返したくなり、『最後の狩猟』*2『謝肉祭』『燃える風』『山を走る女』などをたてつづけに読んだ。


自分にはなんとなく昔から「この作家は全作品を順番に読まなければならない」と感じている小説家がいて、夏目漱石大江健三郎ポール・オースターなどがそうなのだけど、津島佑子もその一人になるだろうという気がする。とはいえ私ももう若くはないので、急がなくてはならない。遅れてきた読者の、早すぎる死を迎えた作者への礼儀として。

*1:http://mainichi.jp/articles/20160219/k00/00m/040/065000c

*2:これは最初期の短篇を集めた本で、最寄りのどこの図書館にも置いてなかったのでamazonマーケットプレイスで取り寄せた。便利な時代になったものだなあと思いました。