Lebensansichten des Kater Mugi

牡猫ムギの人生観

きづきあきら『ヨイコノミライ』(2006)

小学館スマホアプリ「マンガワン」で期間限定で配信されているのを見つけ、久しぶりに再読。もう10年前のマンガなのねえ。
最初に連載していたCOMIC SEEDというウェブ雑誌が休刊になってお話が中断していたのを、小学館が拾って完結したという作品。
作者の文章で、完結させるさい小学館の編集者にいろいろアドバイスをもらったというようなことが書いてあったように記憶しているけど、たしかに途中までのんびり描いていたのが終盤一気に片を着けましたという感じである。

それにしても当時は「オタサーの姫」も「サークルクラッシャー」も「スクールカースト」も「リア充」も、(概念はともかく言葉としては)なかったんだなあと思うと感慨深い。
現実から目をそらして心地よい幻想に逃げ込むというか、孤立を孤高と勘違いするというか、そういう人間の醜さをこれでもかというほど暴いてみせるというコンセプトは今でも決して古びてはいないという気がする。
ただ、上に述べたような理由で物語の風呂敷を畳むのに性急なせいで、もっと醜悪な姿を見せるかに思われた何人かの登場人物が中途半端なまま退場したり、安易なハッピーエンドを用意されてしまったりしたのは、なんとももったいないと思わざるを得ない。
個人的には、主人公の井之上くんが表面的には常識をわきまえたニュートラルな人間に見えて、実はこのマンガの中でいちばんたちの悪い人間だと思うので、最終回でなんとなく青木さんといい感じになるという結末が非常に不満である。この作品では平松さんだけがたいへん悲惨な末路をたどることになっているけれど、マンガを描きもしないのに雑誌をつくりたがる・そのくせ編集の勉強をするわけでもなくリーダーシップを取ろうともせず・それどころか部活と色恋を混同し・平松さんに告白されて安易につきあうくせに青木さんにまとわりつくという井之上こそ、もっとも断罪されるべきだったんじゃないかと思うのであった(憤っている)。
ほかにも自称批評家の結末が青木さんに説教されるだけというのもちょっとものたりないし、声優ワナビーの女の子とそれをストーキングする根暗男子の決着がはっきり描かれていないのも食い足りない感じ。
また青木さんが「人間関係壊し屋」を志す動機や、すでに同人業界でそれなりにやっていっている双子の兄弟の位置づけなどももうちょっと整理できたんじゃないだろうか。

というわけで、このマンガもし可能ならリメイクというかリブートしてくれないかなあと、ひさしぶりに読み返して思ったのだった。いやそれだけの価値のある作品だと思うよ、ホント。